2000年のHPC(その二)
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1月9日から2000年に入っています。先週と今週の記事をご紹介します。「日本の政府関係の動き(続き)」「日本の大学センター等」「日本の学界の動き」「国内会議」です。
JSTの異分野交流研究会「20年後のエレクトロニクス」に招かれ、「10年後までにペタフロップスが実現することは予測できるが、20年後のエクサフロップスなんて現在の技術の延長線でできるとも思えない」などと話しました。でも2022年6月のTop500ではFrontierがエクサに到達しました。
アメリカのQCDOCプロジェクトに理研が参加するかどうかの評価委員を依頼されました。委員長の宮村修教授は悩まれたと思います。記事では大阪大学と書きましたが、すでに広島大学理学部に移っております。あとで訂正します。
私は当時知らなかったのですが、「スーパーコン大プロ」(1981~1989)の終了10年後の追跡評価が行われ、「要素技術は日本の産業に色々貢献したが、ベクトルにこだわって並列処理に乗り遅れた」と評価しました。当たっている面もありますが、2年後には超並列ベクトルの地球シミュレータが世界を驚愕させます。
情報処理学会からHPS論文誌が発刊され、私は第1期の編集委員長を務めました。「情報処理」では、Interactive Essay「これでいいのか? 日本のスパコン」の議論が飛び交いました。
この頃、ATIPは六本木の事務所の脇のセミナー室(Glocomホール、ハークス六本木ビル)で、しばしばビッグネームを呼んでセミナーを開催しました。
量子コンピュータについては「量子ビットの制御」がやっとできるかどうかという段階でしたが、気の早い物理屋さんたちは早速研究会を組織しました。
早稲田で開催されたJSPP2000では、笠原氏の司会でスーパーパネル「ペタフロップスへの道」が企画され、私も参加しました。
さて、次回は「日本の企業の動き」と「標準化」です。OpenMP 2.0のFortran版が公開されます。
ご愛読を感謝します。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。
小柳義夫