2002年のHPC(その一)

「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週から2002年に入りました。全13回の予定です。今週の記事を紹介します。

今年はISCが5月なので昨日2024年6月版のTop500が発表され、富岳が相変わらず4位などと報道されています。日本でTop500が社会的に大きな話題となったのは、2002年に「地球シミュレータ」が堂々トップを飾った時からです。それ以前にも、NWT(数値風洞、航技研)やSR2201(東大)やCP-PACS(筑波大)がトップを取っているのですが、日本において(アメリカやヨーロッパでも)それほど大きな話題にはなりませんでした。

社会の動きでも、多くの重大事件が起こっています。この年、小柴昌俊がノーベル物理学賞を、田中耕一がノーベル化学賞を、ダブル受賞しました。タマちゃんも出現しました。

地球シミュレータが稼働し、Linpackベンチマークが実行されました。当時は、Top500だけでなく、昔からあるDongarraらのLinpack Reportが随時更新されており、このデータはまず4月のReportに掲載されました。この結果は国内外で大きな話題となりました。4月20日付けのNew York Timesのトップ記事“Japan Supercomputer World’s Fastest”として掲載されるとともに、テクノロジ欄には“Japanese Computer Is World’s Fastest, as U.S. Falls Back”という解説記事が載っています。Dongarra教授は、インタビューで「これはまさにコンピュートニク(つまり、コンピュータのスプートニク)だ」という言葉を残しています。もちろん、Dongarra教授には前から地球シミュレータの技術概要を伝えており、「やっと出たか」というところだったでしょうが、ここで「コンピュートニク!」と驚いて見せることで、世界に、とくにアメリカ政界にショックを与えようとしたものと思われます。もちろん、6月のTop500でもダントツの1位でした。2003年11月まで連続4回トップの座をキープしました。(SWoPP-announceでは「2023年」と誤記しました)

IBM関係者は、「Blue Geneができれば、簡単にやっつけられるのに」と悔しがり、Cray関係者は「Red Stormがもうすぐできる、見ていろ!」と刃を研いでいたものと思われます。11月にはエネルギー省長官がワシントンのプレスクラブで講演し、「米国は国家プロジェクトとして技術開発の遅れを取り戻し、再び世界一の座を奪還する」と発言し、「打倒、地球シミュレータ」を高らかに宣言しました。

次回は日本の政府関係の動きと大学の計算センターでの動きなどです。

総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyにあります。ご愛読を感謝します。

小柳義夫