1973年のHPC
HPC界のみなさま
SWoPP-announceと重複しましたらご容赦ください。
電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は1973 年に入りました。2回に分けて掲載します。
日本ではIBMのSystem/360対抗のために日立製作所を中心に汎用コンピュータを開発していましたが、その製品版であるHITAC 8800/8700が完成し、1972/10の東工大に続いて、1973/1には東大で稼働します。
他方、IBM社はすでにSystem/370を発表しました。日本の通産省はこれに対抗するため1972年に国産6社を3グループに編成し、IBM互換のMシリーズと、非互換のACOSとCOSMOシリーズの開発に入っています。
ILLIAC IVの担当会社のTIは1972年にべクトル計算機ASCを出荷しましたが、もう一方の担当会社Burroughsは並列計算機BSPの設計を始めます。しかし、Cray-1の登場により、両方とも舞台から退くことになります。
ENIACに関するEckertとMauchlyの特許はUNIVACが継承していましたが、Honeywellがこれに対して訴訟を起こし、一部が無効になります。これにより、ENIACは最初のコンピュータではなかったと言う主張もなされていますが、何年間もの実用計算に耐えたENIACの価値にいささかの傷がつくものではありません。大企業間の争いに巻き込まれた感じもします。
現在も続いている宿泊型研究会「数値解析シンポジウム」の前身、「数値解析研究会」の第2回と3回が1973年に開かれます。アメリカではICPPの前身であるSagamore Computer Conference on Parallel Processing(第2回)がSyracuse大学で開催されます。
XeroxのPARCのEthernetに関する特許が1973年に成立します。
ソ連では、LSIを用いた第4世代コンピュータElbrus 1が生産されます。
筆者の若干個人的な思い出も書かせていただきました。ご笑覧ください。
小柳義夫@高度情報科学技術研究機構