1974年のHPC
HPC界のみなさま
SWoPP-announceと重複しましたら、ご容赦ください。
電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は1974 年に入りました。3回に分けて掲載します。
日本の大型計算機センター間を結ぶN-1ネットワークの開発が始まります。ARPANETの向こうを張る意気込みでしたが、1981年に正式運用を開始するものの、1999年末に運用を停止することになります。新構想の筑波大学では、全学必修の情報処理演習を会話型で始めます。。
アメリカではCrayのいなくなったCDC社が、世界初のベクトルコンピュータSTAR-100を4台出荷します。8ビットプロセッサでは、Intel社が8080を、Motorola社がMC6800を発売します。またこの年、のちにZ80を売り出すZilog社が設立されます。日本の産業界では、System/370に対抗するための通産省の政策の成果が出はじめます。
DRAMを発明したIBM社のDennardは、Dennardスケーリングを提唱します。LaTeXで有名なLamportは、ILLIAC IV上のパイプライン実行を可能にするHyperplane法を提唱します。筆者はベクトル計算機上で愛用しました。
残念なことに、日本のコンピュータ界初のパイオニアの一人、富士通の池田敏雄氏が51歳で亡くなられます。
なお、今週公開の『新HPCの歩み(第51回)-1974年(a)-』には、筆者のヨーロッパ漫遊記を載せました。気軽に読んでください。
小柳義夫