1979 年のHPC

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は先週から1979 年に入っています。今週号で1979年は完結です。SWoPP-annouceと重複しましたらご容赦ください。

この年ネットニュースが登場します。UUCPソフトが公開され、これを用いてネットニュース(Usenet)が始まりました。はじめは電話のdial-upでしたが、翌年にはARPANET上で広がりました。多数のNews Groupsができ、その上で玉石混淆の議論が始まります。Webが普及するまでは、ネットニュースがブログやSNSのような役割を果たしました。日本ではJUNETが始まってからです。

Cray Research社は、1979年9月17日、日本法人「日本クレイ(株)」を設立しました。資本金2000万円、海外法人としては3番目でした。

Intel社はAndy Groveが社長兼COOになりました。また、インテルジャパン株式会社は、1979年4月、嶋正利を再び迎えてインテル・ジャパン・デザインセンターを設立し、CPUの開発などを始めます。

イギリスのICLは、1978年4月、ICL DAP (Distributed Array Processor)を発表し、1979年、Queen Mary Collegeに納入しました。1ビットプロセッサのMPPです。

日本では、第五世代コンピュータプロジェクトの調査研究が始まり、「知識ベースを用いる推論操作」を動作原理とする革新的なコンピュータ技術の体系を構築することとなりました。神戸大学ではLISP専用のFAST LISPを稼働させ、東大では汎用機上でHLISPを開発し、REDUCEを移植し稼働させました。

東京芝浦電気は初の日本語ワードプロセッサJW-10を1978年9月に発表していましたが、1979年2月出荷しました。筆者も筑波大で愛用しましたが、事務机ほどの機械で、学系事務室に鎮座ましましていました。価格は630万円もしました。

いよいよ来週は1980年代に入ります。日本にCray-1が2台設置されます。

小柳義夫