1986 年のHPC
HPC界のみなさま
電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1986 年の歩みについて、今週号まで3回に分けて掲載しました。スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故の年、チェルノブイリ原発(ウクライナ)事故の年、赤坂アークヒルズ完成の年です。三原山が大噴火し、全島民が避難することになりました。
私個人の最大の思い出は、星野氏を中心とするQCD専用コンピュータ開発プロジェクトが、科研費特別推進のヒアリングで大論争の末討ち死にしたことです。高エネルギーでも、天文学でも、超低温でも、新しい研究のためには道具から作るのは当たり前なのに、「道具を作りたいのか、QCDの物理の研究をしたのか、どっちかはっきりしろ」と果たし状を突き付けられたのです。海外では、コロンビア大学やローマ大学やIBMのWatson研究所などでQCD専用の超並列機の開発が進んでいました。日本も急がなくては。
他方、日本の高性能なベクトルスーパーコンピュータは、大学や研究所に続々設置され、高度な利用が進んでいます。その一端をKEKのS810/10について示しました。週刊誌まで「第3の科学」の到来と報じています。
この年、ディジタル半導体の日本のシェアが45%に達し、アメリカを抜いて世界の首位となりました。アメリカがこれを見逃すはずはありません。早速、日米半導体交渉が始まり、「日本政府は日本国内のユーザに対してアメリカ製半導体の活用を奨励すること」という不平等な協定を押し付けられます。「5年以内に20%以上」という数値目標の密約があると報じられていましたが、2018年の外交文書公開で明らかになりました。
これに続き、高性能が証明されてしまった日本製のスーパーコンピュータの排斥が始まります。アメリカは絶対に世界一でなければいけないのです。
中国では、鄧小平国家主席の決断により高技術研究発展計画」(“863”計画)を批准し、情報技術を含む7つのハイテク分野を、国を挙げて推進することになりました。今でも中国のHPCは863計画の威光で進んでいます。
ソ連ではBoris Babayanが16プロセッサのVLIWアーキテクチャのElbrus 3を1986年製作し、翌年Lenin賞を受賞します。ソ連崩壊の裏で、TransmetaやIA-64に技術が移転したとのうわさがあります。
2001年からなISCと呼ばれ、現在まで続いているMannheim Supercomputer Seminarが始まります。最初の出席者は81人で、多くの講演はドイツ語で行われたようです。Raul Mendezが日本のベクトルスーパーコンピュータがCray X-MPより大幅に高性能であることを数値的に示します。
1983年5月に創業したTMCは、CM-1を1986年4月に発表し、出荷しました。KSR社などが創立されます。
小柳義夫