19898年のHPC(その一)
HPC界のみなさま
20世紀の語り部、小柳です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1989年に入り、4回に分けて掲載します。今日は先週と今週の記事から紹介します。ご笑覧ください。
1989年は、昭和天皇が逝去されて平成に入るとともに、バブルは最高潮に達し、内外で大転換の年でした。盤石と思っていた鉄のカーテンが崩壊に向かい、ポーランドの連帯が圧勝し、天安門事件がが起こります。フランス革命200年記念でした。日本ではリクルート事件が浮上し、竹下内閣が倒れましたが、後継の宇野内閣も短命に終わり、7月の参議院選挙で「山が動き」ます。
日本のHPC界では、前年のSWoPPに続いて、JSPPが始まります。二つのパネル討論会「並列処理への期待と課題」「並列プログラミングはこれから…」が行われます。HAS研が設立され研究会を行います。
1987年に開設されたリクルートスーパーコンピュータ研究所(ISR)は、内外の講師を呼んでコロキウムを行うとともに、オアフ島North Shoreで第3回ワークショップを開催します。私もホノルルからタクシーを飛ばして参加しました。またISRは、SX-2Aの100時間をアカデミアの4グループに提供します。
私が参加していた筑波大学のQCDPAXプロジェクトは最終年度で、マシンは完成に向かいます。東大ではGRAPE-Iが、京大ではADENA IIが動き出します。金田・田村組が、S820/80で円周率10.7億桁(十進)の世界記録を達成。
日本の企業では、日本電気が第2世代ベクトルスーパーコンピュータSX-3を発表しました。関本忠弘社長は、SX-3発表記者会見の席上で「SX-3は全人類共有の財産」と述べましたが、アメリカ側は、「アメリカ製より安いなんてダンピングだ」といきりたち、日本のスーパーコンピュータ政府調達に関して、スーパー301条に基づく優先監視を行うことを決めます。摩擦まますます激化します。
標準化や海外の動きなどは来週からです。
小柳義夫