1994年のHPC(その三)
HPC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1994年の出来事を書いています。先週と今週の記事を御紹介します。「世界の学界の動き」と「国際会議」です。
CERNのTim Berners-LeeがWWWを提唱したのは1989年ですが、これが広まるにはweb browserの普及が必要でした。その嚆矢がAirMosaicで、トップの表示画面には蜘蛛の巣(web)と地球儀の絵が出ています。地球儀はぐるぐる回っていた記憶がありますが、この版かどうかは分かりません。
最近政治家まで「量子コンピュータ」を口にするようになりましたが、この年、Bell研究所にいたアメリカの数学者Peter Shorは、量子コンピュータを用いれば、整数の素因数分解が多項式時間で解けることを証明しました。RSA暗号も真っ青!? あと、コンピュータとは関係ありませんが、Fermatの最終定理の証明が提示されます。翌年受理。
アメリカでは、CalTechの近くで2月にPetaflopsに向けた会議が開かれ、その可能性、技術課題、それを活用する応用などが議論されます。このころ世界的にも、日本のNWT(数値風洞)がやっと100GFlopsを達成したばかりなのに、その1万倍を目ざすとは、さすがアメリカのチャレンジ精神ですね。
翌1995年に開く予定の第一回のHPC Asiaに向けて、準備会議(後のsteering committee)が2月、工業都市の新竹にあるNCHCで開かれ、アジア太平洋各国のHPCの現状を分析しました。その後、開催場所を募ったところ、台湾と1997年に返還を控えている香港とが立候補しましたが、投票により、台北で開催されることが決まります。当時円高で、日本は二の足を踏んでいます。
6月には、Mannheim Supercomputer Seminar(後のISC)で3回目のTop500が発表され、SNL (Sandia National Laboratory)がParagonで、NWTを越えて念願のトップ (Rmax=143.4 GFlops)を取ります。しかし11月の第4回では、NWTがチューニングで抜き返します。どちらのTop20でも半数は日本に設置されている日本製のスーパーコンピュータです。このほか日本製ではカナダにSX/3が設置されています。
ヨーロッパ版の IBM HPC Forum であるSup’Eur 94 が、1994年10月2日~5日にオランダAmsterdamの自由大学で開催され参加しましたが、SP1などの並列コンピュータでどんどん実用的なアプリが稼働していることが報告されていました。GMDの若手が、ADAPTERというオープンなHPFコンパイラ(トランスレータ)を開発した話にも興味を持ちました。。
第7回のSC 94は、首都Washington DCで開催され、空前の参加者でした。首都ということもあり、DOEのHazel O’Leary長官が開会式に登場し、彼女はNIIにおいてDOEがいかに重要な役割を演じているかを強調しました。前にも述べたように、NWTによる等方一様乱流のシミュレーションの論文がGordon Bell賞のHonorable Mention(一種の準賞、現在はない)として表彰されました。
1994年はあと2回、来週はアメリカの企業の動きなどです。
小柳義夫