1995年のHPC(その一)
PC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1995年に入っています。先週と今週の記事を御紹介します。
日本でもネットワークが急速に普及しています。日本のネットユーザは、ニュースグループに流れて来た田中眞紀子科学技術庁長官のメッセージに驚きました。
政府調達におけるスーパーコンピュータの定義は、1990年の日米協議で決まった「300 MFlops以上」のままでしたが、関係者の尽力により、やっと「5 GFlops以上」に改められました。直近のTop500のRmaxでは121位以上に対応します。
日本原子力研究所は、1957年にいち早く計算室を設置していますが、1995年、これを改組して駒込に計算科学技術推進センターを設立しました。目的は、原研内部の計算需要に応えることはもちろん、当時ようやく実用化しつつあった並列処理に関する基盤技術を政官学の共同研究によって開発し、その成果を科学技術庁傘下の研究期間へ普及させることでした。
同じころ、現在わたしが所属しているRIST(高度情報科学技術研究機構)が、原子力データセンターを改組して設立され(更田豊治郎理事長)、三好甫氏を副理事長に迎えます。7月には「地球環境シミュレーションシステム開発推進委員会」が設置されます。(理事長名は、14日(火)に加筆しました)
今から考えると、この原研とRISTの動きは「地球シミュレータ」開発への一連の布石のように思われます。
東大大型計算機センターは、汎用コンピュータを含めて予算の見直しを行い、T3E級の超並列型スーパーコンピュータを導入することとなりました。外国系2社、国内1社が応札し、日立がSR2201/1024で落札しました。このマシンは、1996年6月のTop500で見事トップを取ります。大学の共同利用センターがトップを取るのは空前絶後でした。
東京工業大学総合情報処理センターは、ETA10に代えてCray Y-MP C916を導入します。これを用いて高校生向けのプログラミング・コンテスト「SuperCon’95」を開催し、私立六甲高校のチームが優勝しました。このコンテストはその後毎年開催されています。
Top500で上位を保っている航空宇宙技術研究所のNWT(数値風洞)は、Gordon Bell賞のPerformance部門で、昨年のHonorable Mention(佳作)に続き、QCDの計算で本賞を受賞しました。
高エネルギー物理学研究所は、VPP500/80を1995年1月に設置し、5月から正式に稼動させました。NWTに続く最大構成のVPP500でした。
2回目のHOKKE(HPCとアーキテクチャの評価に関する北海道ワークショップ)が札幌で開催されました。懇親会のスナップ写真がWeb上に残っています。懐かしい顔が見えます。
昨年に引き続き、学生(高校生から大学院生まで)を対象としてPSC(並列ソフトウェア・コンテスト)’95が開催され、各社から資源をご提供いただいたAP1000、Cenju-3、SR2001、SP2の上で、密行列連立1次方程式の直接解法を競いました。表彰はマシン毎です。3位までの入賞者には各社から豪華な賞品が贈られました。日本クレイからは参加賞(Tシャツ?)。
科研費重点領域「超並列」は最終年度を迎え、10月からは産学連携の並列・分散コンソーシアム(PDC)が始まります。
日本ではいろんな企業が、ユーザ向け・一般向けの研究会を開いています。今年から始まった日本電気のNEC HPC研究会の他、日本IBMのIBM HPC Users’Forum、日本サンのNSUG(日本サン・ユーザ・グループ)シンポジウム、日立のHAS研、富士通のSS研などです。
統計数理研究所の外部評価に参加し、貴重な経験をしました。また、HPCとは関係ありませんが、オウム真理教でも貴重な体験をしました。生番組「報道2001」(フジテレビ系列)に1時間ほど出さされました。
ご笑覧いただければ幸いです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
小柳義夫