1999年のHPC(その二)
HPC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1999年に入っています。先週と今週の記事をご紹介します。「日本の大学センター」「日本の学界の動き」「国内の会議」「日本の企業の動き」です。
このころ、7つの大型計算機センターは名称を変更しました。東大は教育用計算機センター等と合併して「情報基盤センター」です。大型計算機センターを各大学のセンターの汎用計算機と接続していた日本独自のN-1ネットワークは、2000年問題に対応できないため、1999年10月運用を停止しました。
星野研究室で1990年に完成し、筑波大学計算物理学研究センターに移管されて稼働を続けていたQCDPAXは、故障や経年劣化を縮小構成でカバーしてきましたが、ついにシャットダウンとなりました。私にとっても思い出深いマシンでした。東工大の松岡研究室ではPRESTO IIが完成します。
11回目となるJSPP’99は、エポカルつくばで開催されました。地球シミュレータの完成を前に、松野太郎氏が「気象・気候の数値シミュレーション」という基調講演を行いました。PSC99は6基のプラットフォームの提供を受け盛況でしたが、入賞者の固定化が目立ちます。
富士通は最後のベクトルスーパーコンピュータVPP5000を発表します。
日本でのADSLサービスはこの年に始まっています。
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小柳義夫