1970年のHPC

電子ジャーナルHPCwire Japan (https://www.hpcwire.jp/)に掲載中の『新HPCの歩み』は1970年代に入りました。2回に分けて連載します。

日本の大学関係では、米軍機墜落のため工事が中断していた九州大学大型計算機センターの建物が竣工し、業務を開始しました。東北大学大型計算機センターでは、大学初のTSS実用サービスが始まりました。

日本電信電話公社は、DIALSというプッシュホンを用いた計算サービスを開始しました。答えは音声で返ってきましたが、これは元NHKアナウンサーの下重曉子氏の声を基に合成されたものでした。

IBM社は6月にSystem/370を発表し、全世界に衝撃が走ります。日本政府は輸入制限、高率関税などの保護政策を取っていましたが、アメリカ合衆国商務省は、10月東京晴海でアメリカ製コンピュータ関連機器の展示会を開催し圧力を強めます。翌1971年、田中角栄通産大臣は自由化に舵を切ります。370を予期してか、General Electric社は5月、メインフレーム事業からの撤退を発表しました。

DEC社は、ベストセラーの16ビットミニコンピュータPDP-11を発売しました。

1980年代に超並列に乗り出すFPS (Floating Point Systems)社、数学ソフトウェアのIMSL社、NAG社は1970年に創立されます。またこの年、Livermoreループ(14 kernels)やPascal言語が登場します。Popleは分子軌道法ソフトウェアGAUSSIAN70を開発します。

ご笑覧ください。

小柳義夫@高度情報科学技術研究機構