1978 年のHPC

HPC界のみなさま

SWoPP-announceと重複したらご容赦ください。

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は先週から1978 年に入っています。今週号で1978年は完結です。この年、筆者は任期の切れそうな高エネルギー物理学研究所から筑波大学に転任しました。

京都大学にいた星野力は日立の川合敏雄とともに、学生たちを指導してMC6800を3×3の格子状に結合したPACS-9を製作しました。その後続いているPAXシリーズの1号機です。ピーク性能はわずか7 kFlopsでした。That’s one small step for a man.

Mシリーズの最上位機種として富士通はM-200を日立はM-200H(IAP付)を発表しました。N-1ネットワークは1978年2月から実証実験のフェーズ3に入りました。正式運用は1981年です。

この年、現在に続くSS研究会が発足しました。

Fortran 77がANSI規格になりました。1BSDが出たのもこの年です。

25回目のISSCCは、初めてサンフランシスコで開催され、シリコンバレーやアジアから多数参加しました。Fortune誌は「シリコンバレーの日本人はスパイだ」という記事で、対日警戒心を煽りました。

アメリカのDEC社は、32ビットのVAX-11/780を出荷するとともに、VT100端末を登場ささせました(オールディには懐かしい)。Data General社の16ビットのEclipseはこれとぶつかってしまい苦戦しました。

16ビットCPUとして、Intel 8086やZilog社Z8000などが登場しました。

イギリス国策の半導体製造企業Inmos社が操業されます。Transputerの会社です。

小柳義夫@高度情報科学技術研究機構