1980 年のHPC

HPC界のみなさま

SWoPP-announceと重複しましたらご容赦ください。

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』はいよいよ1980 年代に入りました。1980年は
先週と今週の2回です。この年もいろんなことがありました。

通産省の肝いりで設立された超LSI技術研究組合は予定通り4年間で終了し、
その成果で1980年代半ばには日本の各社は高集積度のDRAMで世界を席巻
します。その結果、日米半導体摩擦が起こります。

日本では、京都大学の星野力らが、汎用CPUやFPUを用いたPACS-32を製
作し、筑波大学への移動に伴い、筑波大学に移送し本格稼働させました。
G. C. FoxがCosmic Cubeの開発を始めるのはこの翌年です。

日本電気はACOSシステム1000を発表します。IAPも装備されています。

アメリカでは、CDC社が本格的なベクトル計算機Cyber 205を発表しました。他方
Burroughs社はスーパーコンピュータBSPの開発を断念します。
この年、Cray-1が2台初めて日本国内に設置されました。

IBM801やStanfordのMIPSやBerkeley RISCなどRISCの開発が進んでいます。
RISC vs. CISC の論争が始まります。Motorola社はMC68000を量産出荷します。

Gene AmdahlはウェーファースケールでIBM互換機を製造するためTrilogy
Systems社を創立しましたが、1985年に断念しました。

小柳義夫