1981 年のHPC

HPC界のみなさま

SWoPP-announceと重複しましたらご容赦ください。なお、そこでは1980年と誤記してしまいました。

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』はいよいよ1981年に入りました。先週と今週の2回に分けて掲載しています。日本ではロッキード裁判に明け暮れた1年でした。

この年、日本や世界で、後のインターネットに連なる種々の学術ネットワークが発足します。他方、アメリカでは最初の本格的なネットワーク犯罪が起こります。

CalTechでは、汎用プロセッサを用いた高並列コンピュータCosmic Cubeの開発が始まります。1990年代のアメリカでは、汎用プロセッサの超並列コンピュータが、ベクトルにから主役の座を奪うことになります。

日本では、通産省が主導する「科学技術用高速計算システムの研究開発」(通称「スーパーコン大プロ」)が発足し、1989年度まで続きます。新素子、新アーキテクチャ(SIMD, MIMD, ベクトル処理、データ駆動など)、そのためのソフトなどの研究が進められました。特に10 GFlopsのマルチプロセッサスーパーコンピュータPHIの開発計画は画期的でしたが、結果的には商品ETA10に先を越さた形となりました。第五世代は構想がまとまり、翌年から始まります。

IBM社は、31ビットアドレスのSystem/370-XAを発表します。日本でもIBMに対抗して、日立はM-280Hを、富士通はM-380/382を発表します。他方、IBM社は、IBM PCを売り出し、あっという間にPC市場を席巻します。

一時、高速なFPUとして多くのシステムに使われたWeitekチップを開発したWeitek社がIntel社からのスピンアウトにより設立されます。

小柳義夫