1987 年のHPC(後半)

HPC界のみなさま

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今日まで4回にわたり1987年について書いてきました。後半2回の紹介です。

特徴的なことは、日本ではS-820やVP-400EやSX-2Aなど高性能なベクトル計算機が登場しますが、アメリカでは、SequentのSymmetry、TMCのCM-2、IntelのiPSC/2など超並列コンピュータが続々登場していることです。イギリスでもInmos社が第2世代のトランスピュータT800を出します。

ベクトルで頑張っていたETA-10も、東工大などに設置されますがなかなか動きません。親会社のCDCは遂にETAの撤収を決断します。そのためETA-10を導入したPrincetonのvon Neumann Supercomputer Centerでは、1990年にセンターそのものが閉鎖されます。IDE (Institute for Defense Analysis)の Alfred Brenner氏が、「自分がセンターの息の根を止めたんだ」と言っていました。

NCARへのSX-2導入がキャンセルされたのは1985年ですが、1987年MITでもSX-2が契約寸前に政治的に妨害され、Brigham Young大学でも同様な事件が起こります。日本のスーパーコンピュータに絶対アメリカの土は一歩たりとも踏ませないという意気込みです。他方、アメリカの商務省は、スーパーコンピュータを日本に売り込むために、メーカ等13社を含む大型貿易使節団を日本に送り込み圧力を掛けます。半導体摩擦では、日本からの「カラーテレビ、パソコン、電動工具」に対し、一律100%の報復関税をかけると発表しました。

この年、アジアではTSMCやHuawei、アメリカではMasParやTera、ヨーロッパではSGS-Thomsonが創立されます。ベンダ独立なメッセージ転送ミドルウェアExpressを開発するParasoft社も発足です。

この年、第1回のGordon Bell賞が、1024ノードのnCUBEで高性能を出したSNLのチームに授与されました。SCは次の年です。

小柳義夫