1990年のHPC(その二)

HPC界のみなさま

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、5月23日から1990年に入り、5回にわたって連載しています。本日は3回目です。

アメリカ系企業関係者には申し訳ありませんが、1990年の日米スーパーコンピュータ摩擦について、日本の立場から書きました。日米構造協議が始まり、「アメリカの対日赤字の原因は日本の市場の閉鎖性にある」として、市場の解放を迫りました。公的セクターで日本製のスーパーコンピュータをほとんど拒絶しているアメリカ市場は閉鎖的でないのでしょうか。300MFlops以上は「スーパーコンピュータ」と定義され、長々しい「スーパーコンピュータ導入手続き」が定義されました。

CERNのTim Berners-LeeがWorld Wide Web (WWW)を提案し、直ちに実装しました。CHEP92で彼自身がデモをしながら配っていたビラの写真を掲載しました。私はデモを見ましたが、その重要性に気づきませんでした。「線でつながっているのだから、情報が表示されるのは当たり前」くらいにしか思いませんでした。一生の不覚です。

1985年からアメリカ政府NSFは大学関係者等の利用のために、全米で5か所のスーパーコンピュータセンターを設置しましたが、ETA10を導入したPrincetonのJohn von Neumann Supercomputer Centerは予算を打ち切られます。

西ドイツでは国家プロジェクトによりSupernum-1が稼働しましたが、直接の実用化にはつながりませんでした。日本の大プロのPHIと似ています。

アメリカを中心にヒトゲノム計画が始まります。15年計画でしたが、国際的な協力の拡大と、配列解読技術、コンピュータ技術の大幅な進歩により、2000年にはdraft版が完成します。

小柳義夫

PS:先週Top500が発表され、ORNLのFrontierが「富岳」を破りました。エクサを越えています。1990年代後半に、平木敬氏がさる席で「エクサフロップス」について講演した時、私は「やっとTFlopsに達したばかりなのに、PetaならともかくExaなんて夢のまた夢」と思いましたが、なんと現実になりました。これも私の不覚でした。