1992年のHPC(その一)
HPC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日の第104回から1992年に入りました。7回に分けて連載します。初回の記事を紹介します。これまでの記事は、バナーにある「特集記事」のプルダウン・メニューからご覧ください。
その前に訂正があります。第102回に国際会議ISS’91のプログラムを掲載しましたが、これは準備段階の素案でした。島崎眞昭氏から最終プログラムをいただきましたので、修正しました。また、高エネルギー物理学関係の2つの国際会議CHEP 1991とLattice 91の開催場所ですが、CHEP1991が筑波大学、Lattice 91が高エネルギー物理学研究所でした。これも訂正してあります。
社会では、『ミンボーの女』が公開され、伊丹十三が暴漢に襲われます。新聞に不思議なGコードの掲載が始まります。米国留学中の服部剛丈君が射殺されました。ブッシュ(父)に代わり、クリントンが大統領に選ばれます。風船おじさんという話題もありました。
日本のHPC界では、第五世代が終了し、通産省はRWCPを発足させます。文部省関係でも、科研費の重点領域「超並列原理」、筑波大学のCP-PACSプロジェクト、広島大学のINSAMなど超並列処理の研究プロジェクトが始まります。小柳研究室は「超並列原理」に「場モデルによる超並列処理の研究」という課題で応募し採用されたので、マルチグリッド前処理共役勾配法の研究を推進しました。
学術情報センターはSINETの運用を正式に開始し、大学関係でのインターネットの利用が急速に発展します。
次回は1992年(b)で、国内の会議と日本の企業の動きなどについて書きます。
小柳義夫@RIST