1992年のHPC(その二)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1992年に入っています。7回に分けて連載します。先週と今週の記事を紹介します。国内会議、日本企業、標準化、性能評価、ネットワーク、日米貿易摩擦、中国のスーパーコンピュータなどです。

横浜で開かれたJSPP92では、パネル討論会「並列計算機の実用化・商用化を逡巡させる諸要因とは?――その徹底分析と克服――」が企画されました。30年後の今なら考えられないテーマです。筆者は、「悪玉」(ベクトル計算機擁護派)としてパネリストに引き出されました。さて善玉は誰か?

アメリカではParagonやCM-5など本格的並列計算機が登場しているのに、日本では、S-3800やVPP-500などベクトル計算機の花盛りです。日本でも、やっと高並列計算機AP1000やCenju-IIが登場します。ベクトル計算機の時間貸し事業を行ってきた計算流体力学研究所とリクルートの両社は事業から撤退します。世界を驚かせたビジネスでしたが、バブル崩壊には勝てませんでした。

日米関係では、アメリカの大学や政府関係では日本のスーパーコンピュータを拒否しながら、日本には買え買えと圧力を強めています。核融合科学研究所(土岐市)では、クレイリサーチ社と日本の3社が応札し、日本電気が落札しましたが、クレイリサーチ社は日本政府のスーパーコンピュータ調達審査委員会に苦情を申し立てました。たしか当時委員長は故森正武先生だったと思います。委員会は申し立てを却下しましたが、クレイリサーチ社はなおも引き下がらず、研究所は、翌年3月の設置後、異例の「公開デモ」を行いました。

中国では、Cray-1に似た銀河1号(1983年)に続き、X-MPに似た銀河2号を開発し3台が稼働します。実用機であるところがすごい。

次回は1992年(d)で、世界の学界の動きと国際会議です。WWWが広がり始めますが、これがインターネットの主要な利用形態になると私は不覚にも理解しませんでした。

小柳義夫@RIST