1993年のHPC(その一)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1993年に入っています。ご愛読を感謝します。余談ですが、1993年のノーベル化学賞はPCR法の発明(1983年)に与えられました。新型コロナでこんなに使われるとはMullis氏もびっくりでしょう。先週と今週の記事を御紹介します。

1993年1月に発足したクリントン政権は、日本へのアメリカ製スーパーコンピュータ輸出に血道を上げ、日米スーパーコンピュータ摩擦がさらに燃え上がります。日本は景気対策の補正予算で10台強のスーパーコンピュータを購入することになり、アメリカからの圧力がさらに強まります。

航空宇宙技術研究所では、三好甫氏の主導のもと富士通と共同開発したNWT(数値風洞)が稼働し、飛行機の研究などに活躍します。11月のTop500では堂々のトップを取り、その後も含め合計4回トップを取っています。

この年、情報処理学会の数値解析研究会が、HPC研究会に進化しました。広島大学INSAMには3月にParagonが入り、翌年3月には東大の情報科学専攻に富士通のAP1000+が入ります。

リクルートISRは3月閉鎖されますが、Mendez氏は自分の会社ISRを立ち上げます。つくば第一ホテル(その後オークラを経て、ホテル日航つくば)で、ISRワークショップが開かれます。この場で、アメリカの並列機ベンダは、補正予算でスーパーコンピュータ調達を予定している日本の組織関係者と出会います。

富士通は、NWTと同じ技術によるVPP500を発表し、発売します。また、AP1000を中心に並列ワークショップPCW’93を開催します。日本電気もMIPSアーキテクチャのプロセッサを搭載したCenju-3を発表します。

IBM社は2月世界中にSP1を発表し、日本でも大々的に披露します。後に書くように、同年Cray Research社も超並列コンピュータT3Dを発表します。前年のIntel Paragonを含め、世界的大企業が超並列に乗り出してきました。

IIJ(株式会社インターネットイニシアティブ)が商用インターネットを始めるために、ユーザ企業になりそうなところに出資を要請しましたが、「インターネットが事業で使われるようなことになれば、全裸で逆立ちして銀座を歩いてみせますよ」とのたもうた大幹部がいたとか。パソコン通信と同様にホビーとしてしか見られていなかったのでしょうか?

小柳義夫@RIST