1993年のHPC(その三)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1993年に入っています。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を御紹介します。テーマは国際会議です。今週号はSC93について、その他の国際会議は先週号に載せました。

HPC分野のヨーロッパベースの国際会議として、第1回のHigh Performance Computing and Networking(HPCN)がアムステルダムで5月17日~19日に開催されました。その後、日本からもかなり参加しましたが、2001年の第9回で終わりました。ドイツで6月に開催されているMannheim Supercomputer Seminar(後のISC)に負けたようです。

ACM SIGARCH主催のICSの第7回が初めて日本で開催されました。組織委員長は村岡洋一、プログラム委員長は田中英彦。最終日に「1998年(5年後)のスーパーコンピューティング」というパネルがあり、日米のベンダーがパネリストとして各社のロードマップを披露しました。翌日には、早稲田大学の同じ会場で、科研費島崎班の最終年シンポジウムを兼ねてWBPE(代表、津田孝夫)が開かれました。

アジアを中心とした計算物理の国際会議ICCP-2が北京で開催され、私は“Parallel Computers for Computational Physics”という講演を行いました。私としては2度目の中国でしたが、再び故宮を見学し、万里の長城(八達嶺)に登りました。八達嶺では、公開されている東側の端から西側の端まで全路制覇しました。その後、1999年にICCP-5を金沢で開催します。

第6回目となるSC’93がポートランドで開催されました。テーマがネットワークの方に広がり、展示は初めて100件を越えました。日本からも富士通や日本電気が出典しています。昨年からですが、K-12(幼稚園から高校3年まで)という標語で特別のプログラムや展示が企画されていました。高校生などのスーパーコンピュータ利用の成果が発表され、ハイスクールの先生が多数参加していました。日本の高校にはパソコンすら整備されていないのに。

第2回のTop500が会議に合わせて発表されました。ただし、Top500 BoFが開かれるのはSC’94からで、会議中にイベントはありませんでした。NWTが遂に堂々の1位にランクインし、2位のCM-5の倍以上でした。しかし今と異なり、とくにマスコミで話題になることもありませんでした。10位以内には、社内とカナダにある2件のSX-3が入っています。総計、富士通は35件、日本電気は32件、日立は25件が載っています。すべてベクトルです。

来週はお休みで、次回は11月28日です。Cray社やIBM社が遂に本格的な超並列機を導入します。

小柳義夫@RIST