1993年のHPC(その四)
HPC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日で1993年分を完載いたしました。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を御紹介します。
誰かが「Killer Micros」と言ったように、マイクロプロセッサの進歩が著しく、超並列機もこれまではカスタムCPUが主流でしたが、高性能な汎用品のCPUを搭載する超並列機が台頭してきました。特に、この年に登場したIBM社のSP1とCray Research社のT3Dは衝撃的でした。吹けば飛ぶようなベンチャーではなく、歴とした大企業が社運を賭けて開発したこともあり、あっという間にこの業界を席巻しました。グラフィックスの会社であったSGI社もChallengeシリーズでHPC市場を狙っています。ヨーロッパでも、Parsytec社、Parsys社、Transtech社、Meiko社などが活躍します。
そのあおりを食らってか、これまで超並列の雄として君臨してきた、CM-5のThinking Machines社や、Kendall Squares社や、nCUBE社や、MasPar社などを暗雲が覆います。翌1994年決定的になります。
他方、大会社も安泰かというとそうではなく、IBM社はダウンサイジングによる大赤字でCEOが交替し、Cray Research社の業績も上向きません。IBM社はなんと食品会社ナビスコからCEOをスカウトしました。
一人わが道を行くSeymour CrayのCray Computer社は、やっと最初で最後のCray-3をNCARに設置したものの、資金が足りなくなり、経営陣は金策に走り回っていました。でもSeymourは強気で、「Cray-4、Cray-5と作り続ける」と豪語しました。これも翌1994年には決定的になります。
Intel社はx86のシリーズとしてPentiumを発表し出荷しました。奇しくも先日、2023年からPentiumやCeleronのプランド名を使わない、との発表がありました。30年は長いというべきか。
1993年、台湾出身のアメリカ人Jen-Hsun Huang(黄仁勲)らはNVIDIA社を設立します。その後の活躍はご存じの通り。
次回はいよいよ1994年です。超並列業界に激震が走ります。
余談ですが、先日、江沢民元国家主席が亡くなられましたが、一度だけ生の江沢民主席を見たことがあります。WCC2000でのことでした。対日強硬派だそうですが、テクノクラートとしてかなりの迫力でした。前回のシリーズに書きました。「HPCの歩み50年(第74回)-2000年(c)-」https://www.hpcwire.jp/archives/10124
小柳義夫