1994年のHPC(その一)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1994年に入っています。先週と今週の記事を御紹介します。6月に松本サリン事件、10月にはスイスで太陽寺院の信者53人が謎の集団死と、いよいよ世紀末が近づいています。

スーパーコンピュータの性能評価に関する日米ワークショップが、1991年の第1回に続いて、ハワイ島コナで開催され、6名ずつが参加しました。先日大噴火を起こしたマウナロア山のある島です。前回、アメリカ側は現実サイズの問題での全体性能評価の重要性を強調したのに対し、日本側は技術要素ごとの評価の重要性を強調し、対立しましたが、2回目では相互に理解するようになりました。翌年の国際ワークショップPERMEAN95(別府)の企画を全参加者で詰めました。なお、第1回の日本側代表を務めた島田俊夫氏(当時電総研、後名古屋大学)は、去る11月23日に亡くなられました。ご冥福を祈ります。

大学関係では、筑波大学とKEKにVPP500が、東工大と東北大流体研にCray C90が導入されます。

航空宇宙技術研究所は、NWTでGordon-Bell賞に応募し、Honorable Mention(準賞)を受けました。日本から同賞への初登場でした。

電子技術総合研究所(産総研の前身の一つ)ではNinfの開発が始まりました。従来のライブラリがソフトウェアを自分の使うコンピュータに実装して問題を解くのに対し、RPCによって直接に解が得られるような環境を作ろうとするものです。グリッドのさきがけの一つです。

この年3月、第1回のHOKKEが開催されました。5月のJSPP94では、大学生・院生・高校生などを対象に、並列ソフトウェアコンテストPSC94を開催しました。富士通研究所からAP1000(64プロセッサ)を使わせていただき、整数データ4800万個のソーティング課題を出しました。26チームが参加し、1,2位は東大院生、3位はANUの学生でした。PSCはこのあと数年続きます。第7回のSWoPP 94は、7月に那覇市で開催されました。ある日おやつに山のようなサーターアンダーギーが出ましたが、なぜでしょうか。

9月のIBM HPC Forumでは、当時NASA AmesのD. Baileyを講演に招待しました。

来週は、日本の企業の動きや標準化活動などです。来年は1月10日から連載を開始します。

小柳義夫