1994年のHPC(その二)
HPC界のみなさま
新年おめでとうございます。二十世紀の語り部小柳義夫です。
電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1994年の出来事を書いています。前回(去年最後)と今週の記事を御紹介します。「日本の企業の動き」「標準化」「性能評価」(ここまで先々週の記事)、「アメリカ政府関係の動き」「日米貿易摩擦」「ヨーロッパの政府関係の動き」「アジアの政府関係の動き」(本日公開の記事)です。ぜひともご笑覧ください。
中でも印象深いのは「日米貿易摩擦」です。筆者自身その渦中にありました。これを書き出すと血が騒ぎます(歴史を語る者としては慎むべきですが)。1993年のところに書いたように、日本政府は平成5年度補正予算に10件のスーパーコンピュータ新規導入案件を含め、アメリカ側のいう通り、[入札価格]/[評価点]を使った公正な総合評価方式で落札者を決めました。アメリカ側はほとんどを取る勢いだったのですが、日本企業もねばり、結果的に、10件のうち6件7台がアメリカ製に決まりました。しかし不満だったのは日本クレイで(当時営業だったHPCwire Japanの西克也編集長ごめんなさい)、単独応札の2件しか取れませんでした。競合相手は日本のベンダではなく、アメリカの同業他社でした。
日本の企業では、日本電気が初のCMOSベクトルスーパーコンピュータSX-4を発表し、最大構成で1 TFlopsが可能だと豪語しました。世界中に多数売れましたが、公表されている最大構成は東北大学とカナダ大気環境省のピーク256 GFlopsでした。「最大構成で1 TFlops」を標榜したTシリーズのFPS社や、CM-5のTMC社は経営破綻したので、「二度あることは三度ある」にならないか心配しました。
標準化では、MPIは順調に規格制定が進みましたが、HPFは漂流を始めました。Unixの標準化について対立していたOSFとUIは、共通の敵であるMicrosoft社への対抗のため遂に合併しOSFとなります。他方、Red Hat Linux 1.0が公開されます。
Tom Sterlingは、30 cm角の立方体でPetaflopsが実現できる超伝導スーパーコンピュータなどという夢想を振りまく一方、汎用品(COTS)のハード・ソフトを使ったBeowulf clusterの概念を提唱しました。
アメリカのクリントン・ゴア政権はNII構想をどんどん進めています。(日本以外の)アジア諸国でも自作や輸入のスーパーコンピュータがどんどん設置されています。
来週は、NCSA Mosaicが登場し、Shorが量子コンピュータにより因数分解が多項式時間で解けることを証明します。
小柳義夫