1994年のHPC(その四)
HPC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日(2月5日)で1994年を終了いたしました。先週と今週の記事を御紹介します。
この年の最大の事件は、超並列ベンチャの雄と目されていたTMC (Thinking Machines Corporation)とKSR (Kendall Square Research)の2社が相次いで経営破綻し、連邦破産法第11章(Chapter 11、日本の民事再生法に相当)の適用を申請したことです。TMCは経営判断のミス、KSRは不正経理とインサイダー取引と原因は違いますが、背景にはIBMやCray Researchなど大手が超並列業界に進出したことと、冷戦終結による軍事予算の縮小などがあったと言われています。
そのIBM社はSP1に続いてSP2を発表し出荷します。1996年11月のTop500では、トップは筑波大学のCP-PACSですが、何と1/4がSP2です。日本にも10台以上が設置されます。(当初、日本の設置個所の一つに「動燃」と書きましたが、「原子力発電技術機構」の間違いで、訂正しました)Convex社はPA RISCを搭載した超並列機SPP1200/SPP1000を発表し出荷します。販売は順調に見えますが、損失を出し続けています。
同じく超並列で注目されていたnCUBE社とMasPar Computer社は、HPCとは違う方向に活路を探します。
Cray ResearchはCMOSのベクトル計算機J90を発表しますが、経営は苦しく、合理化を迫られています。Seymour CrayのCray Computer社はGaAsのCray-4を華々しく発表しますが、債務超過も膨らんでいます。
ヨーロッパでは、Transputer T9000を搭載する超並列機が開発されていましたが、T9000がなかなか売り出されず、ひと昔前のT800に他の演算用のCPUを組み合わせたノードで、つなぎのマシンを作ります。T9000は開発があまりに遅れたので、他のプロセッサに追い越されてしまい、結局商品にはなりませんでした。
SGIの創業者のJIm Clarkは、Mosaicの発明者AndreesenとNetscape Communications社を創業します。同社でCookieが発明されます。
次は1995年。アメリカではASCI計画が始まります。日本では阪神淡路大震災やオウム事件が起こります。
小柳義夫