1995年のHPC(その二)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1995年の第4回まで書き進んでいます。先週と今週の記事を御紹介します。

日本の3社はスーパーコンピュータの新製品を出しています。富士通はVPP300を、日立はSR2201を発表し、日本電気はSX-4を出荷します。

HPF標準化の作業はいよいよ熱気を帯びています。HPF Forumなどのプログラムが出て来たので、先週の公表後、水曜日に追加しました。Ken KennedyとかJohn Levesqueとか、ビッグネームも見えます。でもHPFはどこに行くのでしょう。

アメリカではASCI計画が始まります。1997年6月にCP-PACSからトップを奪うASCI-Redの仕様が次第に明らかになります。

1984年から始まったNSFのスーパーコンピュータセンター群は、10年後のリストラを迎え、将来計画を一から設計するためにHayes氏を主査とするパネルが設置されました。結果が発表されるのは1996年です。

SC95では、I-Wayという大規模なメタコンピューティングの実験が行われ、その成果の上に、グリッド環境を構築するために必要な基板技術の開発を行うプロジェクトGlobus Projectがが始まります。

日本に数年滞在していたDavid Kahanerは、欧米と日本、アジアの間の技術情報ギャップを埋めるためATIPをニューメキシコ州で設立します。

最も古い半導体の国際会議ISSCCではソニーの山田氏が基調講演をしています。

Mannheim Supercomputer Supercomputer(後のISC)で発表されたTop500では、相変わらず航技研のNWTがトップを占めています。

前年のHawaiiの会議で開催が企画された「計算機性能と解析に関する国際ワークショップ — PERMEAN’95 –」が、別府でSWoPP直前に開催されました。当時日本では、性能チューニングは、達人の技のように考えられていましたが、欧米ではこれを科学として発展させる方向が出ていました。

リオデジャネイロで開催されたCHEP95では、日本からの参加者の川口湊福井大学教授が、市電乗車中にひったくりに遭って路上に転げ落ち、亡くなりました。

ご笑覧いただければ幸いです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
です。

小柳義夫