1995年のHPC(その三)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1995年(全8回)の後半に入っています。先週と今週の記事を御紹介します。HPC Asia 95とSC95(第1部)です。

第1回のHPC AsiaであるHPC Asia 95は、1995年9月に台北で開催され、technical sessionに600名以上参加しました。展示では、日米各社に加えて地元台湾からの出展も多く、盛況でした。長い沈黙を破ってSteve Chenは、招待講演において、汎用プロセッサを用いた共有メモリ計算機を開発していると発表しました。日本の3社からも、三浦謙一、河辺峻、渡辺貞が総合講演を行いました。

San Diegoで12月に開催されたSC95では、アメリカの研究予算が減少し、スーパーコンピュータセンターの数も減るという中で、いかに新しい展望を開いていくかが論じられていました。

展示のGala Openingの行われる12月4日(月)に、IEEEのSSS (Scientific Supercomputing Subcommittee)が会場近くのホテルで開かれ、三浦謙一氏と私の企画で、「日本におけるHPCC活動」に関するプレゼンテーションが行われました。3社の他、NWT、GRAPE、RWC-1の発表がありました。最後に、Thorndyke氏が、日本視察の報告をしました。実装技術が要と見ています。Top500の上位にしばしば登場するものの、日本のHPC活動はアメリカではあまり知られていないので、よい機会であったと思います。SC95の続きは来週です。

ご笑覧いただければ幸いです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
です。

小柳義夫