1996年のHPC(その一)
HPC界のみなさま
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1996年に入っています。全8回です。先週と今週の記事を御紹介します。日本政府の動き、日本の大学センター等の動き、日本の学界(アカデミア)の動き、国内会議などです。企業関係の一般向けテーマの会合は国内会議に入れています。
1996年は、村山首相の退陣のあと、橋本龍太郎の自社さ連立内閣で始まりました。菅直人厚生大臣が、厚生省エイズ研究班の資料を役所の倉庫から発見したのもこの年です。前年制定された科学技術基本法に基づき、第1期の科学技術基本計画(5年間)が閣議決定されました。これにより、地球シミュレータ計画や、日本学術振興会の未来開拓学術研究推進事業なども始まります。日本原子力研究所の計算科学技術推進センターは駒込から中目黒に移り、国内外の5台の並列コンピュータを設置して並列数値計算ライブラリプログラムの開発を推進しました。わたしもそこに足しげく通うことになります。
東京大学大型計算機センターは、1996年2月にHITACHI SR2201/1024を設置し、6月のTop500において首位を占めました。大学の一般向け共同利用センターがトップを取るなんて初めてで、おそらく今後もないと思われます。なぜなら、この後は国家主導のスーパーコンピュータセンターでなければ首位を取れなくなるからです。インターネットが普及し始め、京都大学大型計算機センターでは公衆回線(音声電話経由での接続)を廃止しました。他のセンターも同様と思われます。
筑波大学計算物理学研究センターも、東大のSR2201に続いて3月にCP-PACS/1024を設置しました。ピークは300 GFlosでしたが、メモリが小さいのでTop500には出しませんでした。おそらくLinpack性能は180 GFlops程度で、出せば2位には入れたと思います。その後2048プロセッサに増強し、11月のTop500では、Linpack性能368.2 GFlosで、見事1位に輝きました。
1024プロセッサの段階で、某新聞社(朝日です)が、「NECのSX-4は1 TFlopsだから、その方が高性能だ。CP-PACSはチャンピオンではない。」などと珍奇なことを言い出しました。SX-4の1 TFlopsは、カタログ性能に過ぎず、実機のCP-PACSと比較するのは無意味と反論したのですが、今週号に載せた「どれがチャンプ」などという珍奇な記事を出しました。
記事をよく読むと、「日本クレイの杉原正一総合企画部長は「製造能力はあるわけで、筑波大に抜かれたとはおもっていない。今年中には、筑波大の二倍の六百ギガフロップスのマシンを実際に出荷する」。NEC広報部は「筑波大のは研究用で、うちのスパコンとは市場が異なる。直接比較はできない」。富士通広報部室は「組み上げたという意味では筑波大が最高速になるのでしょう」と反応は様々だ。」とあり、クレイは負け惜しみっぽいが、各社とも分かっています。ちなみに、600 GFlops以上のCray T3Eが登場するのは翌1997年11月のTop500で、SX-4の最大の実機はピーク256 GFlopsでした。
高エネルギー物理学研究所は、前年に設置したVPP500/80の資源を使って、公募型の「大型シミュレーション研究」を開始しました。
関口智嗣(電総研)氏の主導により、大学、国立研究所、企業の研究部門などで開発した応用ソフトウェアを産業界の実用段階まで育成しようということで、企業からの会費により、産業基盤ソフトウェアフォーラム(SIF)を設立し、3年半活動をつづけました。現在の私のRISTでの活動にもつながっています。また、日本版netlibを作ろうと、有志でPHASEプロジェクトを始めましたが、ミラーサイトとしてだけしばらく続きました。余談ですが、「棟上(とうじょう)」とフリガナを振ったら、MS Wordが「むねあげ」のお間違いでは、と警告を出しました。余計なお節介です。
JSPP並列ソフトウェア・コンテスト(PSC 96)は第3回で、私が委員長を仰せつかりました。問題は「3,276,800個の1次元複素データの高速フーリエ変換および逆変換」としました。浮動小数演算量はO (n log n) ですが、データ移動がポイントでした。PSCもそろそろネタに困るようになりました。
ご笑覧いただければ幸いです。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history
です。
小柳義夫