1997年のHPC(その二)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先々週から1997年に入っています。先週から深海艇タイタンの事故が話題になっていますが、映画『タイタニック』が公開された年です。一般公開は12月ですが、11月1日に東京国際映画祭で上映されています。

先週と今週の記事を紹介します。「日本の学界の動き」「国内会議」「日本の企業」「標準化」「アメリカ政府の動き」などです。

三好甫(高度情報科学技術研究機構副理事長)の主導により、超並列機を、応用分野のユーザが現実の問題を解くために利用するには、HPFの活用がカギであるとの認識に基づき、「HPC合同検討会(JAHPF)」を発足させ、拡張仕様を精力的に検討します。その成果をSanta Feで開催された第1回HPF Users Group Meetingで発表したところ、先端ユーザとベンダ3社が協力して仕様の検討を進めていることが国際的に評価されました。三好先生は同時に地球シミュレータ計画を推進していましたが、完成を見ることなく2001年末に他界されます。『情報処理』誌は、2月号で『HPF言語の動向』を特集しました。

JSPP’97は、1995年の大震災から復興途中の神戸で開催され、基調講演で星野力氏は並列計算の核心はノイマンの呪縛からの脱出だと論じました。併設された並列ソフトウェアコンテストでは、「ナップザック問題」を出しましたが、適度な難度の問題を生成するのに苦労しました。

SWoPP阿蘇97の前日、HPCS’97がHPC研究会の主催で開催されました。これは単発の企画でしたが、その後2002年から2017年まで毎年HPCSが開催されました。

国内では、外資系を含め各社がオープンな(または近い)シンポジウムを盛んに開催しています。

日本でも、若干遅まきながら、SR2201、AP3000、Cenju-4と実用化を目指す超並列機が揃いました。

前年、Cray Research社がSGI社と合併したことにより、日本でも、日本シリコングラフィックス・クレイ株式会社が発足します。その披露パーティーに行きましたが、何と……

Fortran 95がやっとこの年公表されます。これはマイナー改定ですが、大改訂のFortran 2000の方向性も決定しました。

アメリカでは第1期のPITACが始まり、「連邦政府は、即効性のある短期的な研究より、リスクの高い長期的な課題を支援すべき」だという方向が出ています。どこかの国とはだいぶ違います。

NSF PACI構想では、結局SDSCとNCSAが選ばれ、全米を高速ネットワークで繋いでアカデミアに資源提供を行うことになりました。

ご笑覧を感謝いたします。次回は日米貿易摩擦など。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫