1997年のHPC(その三)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1997年の第5回まで来ました。先週と今週の記事を紹介します。「日米貿易摩擦」「各国の政府関係の動き」「世界の学界の動き」「国際会議(前半)」です。

日米貿易摩擦では、三浦謙一博士、Bill Buzbee博士などがITCの公聴会で堂々と正論を論述しましたが、聞く耳を持ちません。「日本のスーパーコンピュータはアメリカのスーパーコンピュータメーカー市場に脅威を与えている」との裁定を根拠もなしに下しました。日本電気とHNSX社はCIT(米連邦国際通商裁判所)に訴えます。結論が出ないうちに、NSFはNCARへのSX-4の導入を中止します。Buzbee博士は引退を決意します。

アメリカ政府は、インドは原水爆開発国であるとして、Cray社のスーパーコンピュータの購入を拒否します。インドの電総研であるC-DACは、自力で100 GFlopsから1 TFlopsのスーパーコンピュータを開発すると発表しました。

1960年代にIBMでOut-of-Order実行の基本原理を確立したRobert Tomasuloは、この年Eckert-Mauchly賞を受賞します。

3月にSanta ClaraのホテルでHPC in Japanという小さなワークショップが開かれ、日本のHPCの現状をアメリカのHPCの重鎮やジャーナリストに開示しました。私はCP-PACSについて講演しましたが、質問は全部地球シミュレータについてでした。地球シミュレータについての講演がなかったからでしょう。

ヨーロッパを舞台に1993年から開かれているHPCN Europeは、4月にWienで開催されましたが、いよいよ風前の灯です。

6月のTop500ではASCI Redが登場し、前年11月にTopを取った筑波大学のCP-PACSは2位に転落しました。新登場したT3Eの進出も目覚ましく、上位20件のうち9件を占めます。

次回は「国際会議(後半)」で、私が参加したPC’97などについて書きます。SC97はその次に。

ご笑覧を感謝いたします。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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