1997年のHPC(その五)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日公開の第150回で、1997年の記述を終了しました。ご笑覧に感謝します。先週と今週の記事を紹介します。「SC97(その二)」と「アメリカの企業の動き」「ヨーロッパの企業」「企業の創業・終焉」です。

SC97のアーキテクチャに関するパネルでは、Hennessyが「メモリのモデルとして、一様だが遅いSMPか、自分のメモリは速いが他のメモリは遅いDSMか、である」とSunのStarfire (E10000)をけなしたので、Greg Papadopulosが噛みつきました。

PACIに関するパネルでは、NSFのHayes Panelの一人から、予算の総額がgivenだったので、二センターに絞らざるを得なかったが、科学の発展のためにはfixed budgetではだめだ、と述べました。

聴衆の意見を聞くTown Hall Meetingsとしては、「インターネットに関して」「PITACに関して」「SC会議の今後に関して」の3件が開かれ、インターネットに関するTHMでは、メタコンピューティングの重要性が強調されました。

原著論文では、HPFに関する論文が4件採択され、その実用性が議論されました。

Gordon Bell賞のfinalistsはASCI Redのオンパレードで、日本からは一つも通りませんでした。

Top500のトップ20位までの22件では、9件が新顔で、内6件はT3E 900でした。SGI/CrayとしてはOriginとT3EをSN1として統合する計画でしたが、2000年にはCray部門がTeraに売却され、Crayは独自に進化を遂げます。

CPUの高性能化が進みます。Intel社はPentium IIを、Sun社はUltraSPARC IIを発売します。

Tera社のMTAはついに稼働し、SDSCに設置されることが決まります。ISベンチマーク(1プロセッサ)でT90やVPP500を凌駕しますが、プロセッサ当たり4KWの電力消費は大問題です。早くCMOS化しないと。

ヨーロッパでは、Meikoの技術を継承したQSW社は、高速相互接続網のベンダとして羽ばたき、一時Top500の上位で活躍します。

分散コンピューティングのEntropia社が設立されます。グリッドの時代の幕開けです。

次回は1998年(a)で、8月28日公開予定です。ご笑覧を感謝いたします。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫