1998年のHPC(その三)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1998年の5回目となりました。先週と今週の記事を紹介します。「アメリカ政府の動き」「日米貿易摩擦」「その他の政府関係の動き」「世界の学界の動き」「国際会議」などです。

アメリカ政府は、Gore副大統領を中心にHPCやネットワークや基礎研究に莫大な予算を注ぎ込み、戦略的に推進しています。1996年末に設置されたASCI Redに続いて、3 TFlops級のASCI Blue Pacific (LLNL)とASCI Blue Mountain (LANL)が動き出しました。前者が搬入されたときには、Gore副大統領直々に歓迎のメッセージを出しました。村上氏が当時の新聞記事をコメントでいくつか紹介してくださいました。

ところが、11月のTop500の締め切りまでに、前者は3セクターのうち1セクターしか動かずRmax=547 GFlops、後者も、幾晩も徹夜したにもかかわらず690.9 GFlopsしか出ませんでした。1 TFlops級のASCI Redが相変わらず1位を保っています。SGI社はSC98の会期中に記者会見を開き、「実はすでに1.61 TFlopsの性能を実測した」と負け惜しみを述べました。ところが、翌1999年6月には、ASCI Redも増強したので、1位は取れませんでした。

他方NSFのPACIプログラムでは、旧4センターの内、SDSCとNCSAをそれぞれ中心とする2グループが採択されましたが、Pittsburghも全国レベルのセンターとして生き残りました。Cornellは学内センターに転換しました。

NCARは1996年に入札でSX-4導入を決定しましたが、連邦下院議員が政治介入し、契約を中断させました。商務省はCray社(当時はSGIの子会社)からの提訴をうのみにし、1997年にダンピングを認定し、入札は白紙となりました。日本電気はITC(米国際貿易委員会)に訴えましたがダンピングの判定が出たので、CIT(国際通商裁判所)に訴え、こちらは根拠不十分としてITCに差し戻しましたが、1999年、ITCは再びダンピングを判定します。他方、これに対し日本電気は、米国憲法修正第5条に反するとしてCAFC(連邦巡回区控訴裁判所、特別な二審裁判所)に訴えましたが退けられ、最高裁に上訴しました。いよいよ泥沼です。

国際会議はますます増えています。私が出席したものはわずかですが、他の会議も残っている資料から紹介しています。省電力チップに関するCOOL Chipsが、HOT CHIPS対抗のようですが日本で始まりました。6月のTop500では、トップ20位までの21件のうち、新顔が10件で、ほとんどがT3Eであるところが印象的です。3日目となるHPC Asia 98はシンガポールのRaffles City Convention Centre において開催され、Sid Karinは基調講演でスーパーコンピュータと他のコンピュータとの連続性を強調しました。

次回はOrlandoのSC98です。

わたくしごとですが、本日80回目の誕生日です。ご愛読に応えて、ボケない限り書き続けますので、よろしくお願いします。少しボケかけていますが。

小柳義夫