2001年のHPC(その二)

「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに21世紀に入っております。先週と今週の記事をご紹介します。「日本政府関係の動き(続き)」「日本の大学センター」「日本の学界」「国内会議」です。

 ITBLが始まりました。旧科技庁系の国立研究機関を高速ネットワークでつなぎ、計算資源やデータ資源の共用化、遠隔地との共同研究を可能とする仮想研究環境構築のプロジェクトですが、日本原子力研究所計算科学技術推進センター長 秋元正幸氏が、当初、「高速ネットワークを張って各研究機関のスーパーコンピュータの空き時間を活用すれば、計算資源など無限に沸いてくる」というような一般向け説明をしたので、われわれは「そんなことを言ったら、スーパーコンピュータ予算が通らなくなる」と眉を顰めました。

 新情報処理開発機構(RWCP)は2001年度が最終年度で、10月に最終成果報告発表会が開催され、多くのデモなどが行われました。「並列分散システムソフトウェアつくば研究室」の展示風景写真を載せましたが、ディスプレイに写っているのは、10月4日に発足した「PCクラスタコンソーシアム」の説明のようです。

 名古屋大学センターニュースの論壇に「サービスセンターから研究センターへ」という記事を書き、大型計算機センターは、利用負担金を取って資源を提供するというビジネスモデルだけでは早晩破綻すると警告しました。

 「グリッド」が一般のマスコミの話題となりましたが、記者たちもよくわからず、SETI、スーパーコンピュータ、ネットワーク、クラスタ、分散処理などがごちゃまぜになっているようです。

 友人島田俊夫氏の心臓移植の顛末について、公表された範囲で書きました。呼びかけ人の末席の一人として、多くの方々からの寛大な御拠金を感謝いたします。おかげさまで島田俊夫氏は2022年11月23日まで77歳の生涯を全うされました。

 三好甫先生が副理事長をしておられ、地球シミュレータのソフトウェアを推進して来たRISTは、このころ地球シミュレータ後の「次世代計算科学技術」について、中村壽氏などを中心に調査研究や広報活動を行いました。私も多少協力しました。ただ、この頃の記録がRISTのページに残っていないようです。

 HAS研(Hitachiアカデミックシステム研究会)は、21世紀の冒頭にあたり、「国産コンピュータ~その熱き誕生のドラマ」と題した特別シンポジウムを開催しました。

 8回目となるJSPP並列ソフトウェアコンテストは、並列処理技術の普及と促進、人材育成という当初の目的を果たせたとして、今回で終了することとなりました。出題のネタが尽きたという実情もありました。コンテスト参加者で現在中堅として活躍されている方も少なくありません。うれしいことです。

 故森正武先生を委員長として企画した第15回トヨタコンファレンス “Scientific and Engineering Computations for the 21st Century ? Methodologies and Applications ?” は、三ケ日研修所で開催されました。私も組織委員会の末席を汚しました。関連の一般向け公開講演会「計算科学は人類を救えるか?」は東京で開催されました。

 さて、次回は「2001年(d)」で、日本の企業の動きと標準化関連の動きなどです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。ご愛読を感謝します。

小柳義夫