2004年のHPC(その七)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に連載中の『新HPCの歩み』は、本日公開の(m)で2004年の連載全13回を終了しました。先週(ℓ)と今週(m)は、アメリカ企業の動き、ヨーロッパ企業の動き、中国の動き、企業の創業・終焉です。
HP社は、画期的なEPICアーキテクチャでサーバ界を主導するためにItaniumを10年間Intel社と共同開発していましたが、なんとAMD社のOpteronを搭載したサーバを発売するとのニュースが流れました。それどころか、Intel社との共同開発契約も終了しました。「HPよ、おまえもか?」
AMD社がdual-core Opteronの設計を完了する(発売は2005年)のは想定内でしたが、なんとIntel社もOpteronと同様なx86-64を開発していることが明らかになりました。Intel社のCEOはIDFにおいて、「Intelがこれを開発しているということは、San Franciscoで最もよく知られた秘密であった」と。Itaniumをどうする気か??
Intel社はx86-32では高クロック路線を進めてきましたが、予定していた4 GHzのPentium 4を電力の壁で断念しました。これからはマルチコアの時代に入ります。
IBM社がPFlopsを標榜するBlue Gene計画を発表してから5年になりますが、9月にはLLNLの1/4サイズのプロトタイプが36.01 TFlopsのLinpack性能を記録し、地球シミュレータを(わずか)抜きました。その後の経過はすでにTop500のところに書きました。日本でも産総研生命情報科学研究センター(お台場)が4ラックを設置することが明らかになりました。ただし、日本設置の一号機はニイウスの1ラックでした。2006年のことになりますが、ニイウス社は1/8ラック相当のNIWS Gene/S TurboをOEM製造し東北大学金属材料研究所に納入します。
UltraSPARC IV、Sun Fire 25K、Opteron搭載サーバを出すなど順調に見えるSun Microsystems社ですが、S&Pは投資不適格級のBB+へ2段階引き下げ、業務縮小を余儀なくされます。HPC担当副社長になったばかりのShanin Khan氏が同社を去ります。私は1986年、かれがFloating Point Systems社にいたときCornell大学でお会いしたのが最初です。また同社はMicrosoft社とJavaについて7年にわたって係争中でしたが、和解金・特許料前払いなど計$2B(当時2200億円)を受け取り和解しました。これでしばらくしのげるか??
Cray社は、ベクトルのX1、超並列Red Stormの商用版XT3、OctigaBay由来のXD1と3路線を続けています。
2000年にx86互換の省電力プロセッサCrusoeを出したTransmeta社は、90nmのEfficeonを出します(富士通あきる野工場で製造)。しかし、2005年1月にはチップ製造ビジネスから撤退します。
ヨーロッパではQuadrics社がQsNett II (Elan4)を出荷します。2004年のTop500にはまだ出ていません。
中国のLenovo社(聯想集団)は、IBM社のPC事業を全面的に買収して世界を驚かせましたが、Top500に載るようなHPCでも頑張っています。その後生産を拡大し、2018年以降、台数ベースでTio500のトップシェアを占めています。3回目のChina HPC Top100が発表されました。
Entropia社が静かに舞台から去りました。
次回は2005年。スーパーコンピュータ議員連盟が政府に勧告を出す一方、文部科学省計算科学技術推進WGは10 PFlops以上のスーパーコンピュータの実現を勧告します。ベクトルとスカラーと専用計算機の3部構成からなる「京速」スーパーコンピュータが提案され、岩崎氏や私が強烈に反発します。
今週号は第222回ですが、前回の連載『HPCの歩み50年』は、最終回(2012年(p))が第222回で終了しました。https://www.hpcwire.jp/archives/30286 今回はまだ2004年(m)です。
既発表記事の総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
にあります。ご愛読を感謝します。
小柳義夫