2005年のHPC(その一)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に連載中の『新HPCの歩み』は、本日から2005年に入りました。12回連載の予定です。今週(a)は、「社会の動き」と「次世代スーパーコンピュータ計画(その一)」です。いよいよ「京」に向かう動きが本格的になります。
「社会の動き」としては、小泉郵政解散総選挙の年です。小泉チルドレンの一人が「料亭に行ってみてー」と発言して顰蹙を買いました。アメリカでは、ハリケーン「カトリーナ」がフロリダやニューオーリンズに上陸し大きな被害を与えました。姉歯事件など覚えておられるでしょうか。AKB48とかいうアイドルグループがAKihaBaraで活動を始めたようです。
文部科学省 科学技術・学術審議会 研究計画・評価分科会 情報科学技術委員会の計算科学技術推進ワーキンググループは精力的に議事を進め、多方面からの聞き取りを行って次世代スーパーコンピュータのシステムイメージを構築しています。ターゲット8分野も定義され、2つのグランドチャレンジも決まります。
幸い、国立国会図書館のアーカイブ事業(WARP)により、この頃の資料がかなり保存されているので、当時の雰囲気が分かります。文中や表中のリンクをクリックしてください。
自民党のスーパーコンピュータ議員連盟が活動を始め、8月には政府に勧告を出しました。
1000億円の予算で10 PFlopsの性能ということだけは決まりましたが、システムイメージは百花繚乱だったようです。政治家などからは、日本のお家芸である「ベクトル」だけで作れという意見もありました。「市場原理で開発できないベクトルこそ、国家プロジェクトで作るべきである」と。そうでしょうか?
当時、わたしは部外者だったので、「何に使うかのビジョンがあって初めて、道具としてのスパコンが生きる」などと応用の視点からの情報発信を外野から行いました。
アメリカにも情報が流れ、「いずれにせよ、アメリカで『HPCにもっと予算を出せ』という理由に利用されると思う」という皮肉な見解も。
2005年夏以降の「次世代スーパーコンピュータ計画」の動きは次回です。キックオフミーティングが御殿山ヒルズ ホテルラフォーレ東京で開催され、大臣や国会議員を含め800名以上が集まります。岩崎洋一筑波大学学長が基調講演を行います。
(なお、3月3日午前10時現在、記事中の表形式の部分に、余分な空白や区切りが入っています。読みにくいですが、内容には影響していません。修正を御願いしています)
既発表記事の総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
にあります。ご愛読を感謝します。
小柳義夫