1993年のHPC(その二)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1993年に入っています。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を御紹介します。

先週号では、1993年時点で日本に設置されているアメリカ製並列コンピュータの一覧を掲載しました。日本のメーカはまだ及び腰だったので、大学も民間も多数の米国製並列コンピュータを設置しています。でも、アメリカ政府はもっと売り込みたいようです。

並列化ソフトの標準化としては、PVM、MPI、HPFが並行して進んでいます。MPI標準化は順調ですが、HPFの議論は少し発散気味です。

Top500が始まりましたが、私は「Forbesの長者番付でもあるまいし、どうして順位をつける必要があるんだ」とバカにしていました。Meuer教授から参加を勧められましたが断りました。今と違って、マスコミが注目することもなく、ひっそり発表されました。日本では、関口智嗣氏の尽力により、「性能評価の標準化」調査研究が始まります。

アメリカ政府のHPCCは、ブッシュ(父)大統領時代の1991年から始まっていますが、クリントン・ゴア政権は、省庁を越えて多額の予算を投入します。ゴア副大統領は情報スーパーハイウェイ構想を打ち出します。これは、ゴアの父親Al Gore, Sr.が、上院議員であった1956年にInterstate Highwayを推進したことにちなんでいます。

Gordon Bell氏は「つぶれるべきコンピュータ会社が政府(特にARPA)の援助により生き延びている」と批判しました。結果的に1994年にはTMCやKSRが経営破綻に至ります。

NSFは有識者によるパネルを設置し、「デスクトプからテラフロップへ、HPCにおけるアメリカの優位を活用して」と題した報告書を出し、NSFへの投資の重要性を強調しました。1985年からの4スーパーコンピュータ・センター体制の次期計画はどうなるのでしょう。

ヨーロッパやアジアの政府関係機関もスーパーコンピュータの設置や利用に力を入れています。いよいよスーパーコンピュータ時代の到来です。

来週は1993年に開催された種々の国際会議の話題を書きます。

小柳義夫@RIST