1971年のHPC

HPC界のみなさま

SWoPP-announceと重複しましたらご容赦ください。

電子ジャーナルHPCwire Japan  https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は1971年に入りました。1回で完結します。

アメリカではIBM System/370に対抗する動きの中で、巨大電機メーカーのRCA社は、いわばオウンゴールでコンピュータ事業から撤退します。日本は、電振法に続く機電法でアメリカに対抗しようとしますが、アメリカからの業界・政界あげての強大な圧力の中で、新任の田中角栄通産大臣は自由化日程を打ち出します。ここから、FH・NT・MOの3グループ体制が生まれます。

7番目の大型計算機センターが名古屋大学に設置され、NUMPACの開発が始まります。現在まで続いている宿泊型「数値解析シンポジウム」の前身「数値解析研究会」の構想がまとまります。

CDCは、世界初のベクトルコンピュータSTAR-100を発表しましたが、性能が予想より低く、製造は4台にとどまりました。

Intel社は世界初のワンチップ・マイクロプロセッサIntel 4004を売り出します。論理設計は当時ビジコン社にいた嶋正利。

アメリカのARPANET周辺では、マシンをまたぐ電子メールとともに、TelnetやFTPの開発実装が行われています。日本では、通信自由化と言いながら、メールのようなものは禁止されていました。郵政事業の妨害になると見たのでしょうか。これが決定的な敗因でした。ハワイでは、各島をUHFで結ぶALOHAnetが始まります。

この当時撮った、大学院修了直前の筆者の写真が出てきましたので恥ずかしながら載せさせていただきました。

ご笑覧ください。

小柳義夫@高度情報科学技術研究機構