1995年のHPC(その四)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日、全8回にわたる1995年の記事掲載を完了いたしました。先週と今週の記事を御紹介します。SC95の後半と、アメリカ企業の動き、ヨーロッパ企業の動き、企業の創立・終焉などです。

SC95では、第一回から続いているCenter Directors’ Round Tableが開催され、細りゆくNSF予算のなかで、今後の方針が議論されました。HPFについては、Workshopはドタキャンされましたが、HPF ForumはBoFとして開催され、HPF2.0への拡張が議論されました。HPFコンパイラは各社頑張っていますが難しそうです。

Gordon Bell賞では、航技研、山形大、広島大連合が、NWTの128プロセッサでQCD計算を行い、179 GFlopsを出してPerformanceカテゴリーの賞を獲得しました。牧野淳一郎・泰地真弘人は、GRAPE-4で112 GFlops相当の速度を出し、special-purpose machineカテゴリーで入賞しました。Price/Performance賞はMITの人に。

11月(実際は12月)のTop500は、上位5位までは前回と同じでNWTが相変わらず首位です。上位20位までに日本設置のマシンが9件入っています。

わたしは気づきませんでしたが、SC95ではI-Wayという最初の大規模なメタコンピューティングの実験が行なわれ、全米17カ所の計算センターを結合し60以上のアプリケーションを走らせました。この成果を基にGrid ComputingとくにGlobusの開発が進みます。

汎用マイクロプロセッサは、どんどん進化します。Pentium Pro, Alpha21164, UltraSPARC-I, SPARC64などです。最後の2つは、世界初の64ビットSPARCです。これらはPCやサーバのみならず、超並列コンピュータのエンジンにも使われていきます。

Cray Research社は、ベクトルではT90、超並列ではT3Eを出します。しかし収益という点では一向に改善せず、1994年CarlsonがCEOを辞任し、1995年Samperが指名されます。努力も空しく翌年にはSGIに吸収されます。

超並列の雄と目されていたnCUBE社はOracleに編入され、ストリーミングサーバのメーカに転身し、MasPar社は意思決定ソフトウェアの会社に変身します。TMC社も再建計画が進み、翌年にはChapter 11の保護から脱却します。Convex社は、協力関係にあったHewlett-Packard社に買収されます。

Steve Chenが設立したSSIは1993年に破産しましたが、その技術を引き継ぐChen Systems社はついにSMPサーバCS-1000を発表しました。でも、翌年、Sequentに吸収されます。

省電力で一時活躍したTransmeta社が設立され、Yahoo!社も立ち上がります。他方、Cray Compter社は、再生の見込みがないので連邦破産法第7章(Chapter 7、日本の破産法に相当)の清算処理に移行しました。

次は1996年です。アメリカのNCARでのスーパーコンピュータ調達において、大騒動が巻き起こります。

ご笑覧いただければ幸いです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
です。

小柳義夫