2000年のHPC(その四)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、20世紀最後の年2000年の後半に来ました。先週と今週の記事をご紹介します。先週は世界中の「国際会議」で、今週は「SC2000」です。国際会議は山ほどありましたが、私が出席したのは4件だけで、外国での会議は3件です。

アナログ時代から続いているISSCC 2000は47回目で、GHz級のマイクロプロセッサのオンパレードでした。この動きはさらに加速します。

北京の友誼賓館で開催されたHPC Asia2000では、Gordon Bell、Jack Dongarra、Ian Foster、Richard Stallmanのビッグネーム4人が基調講演をしました。Stallman氏とは、たまたま空港からタクシーで乗り合わせましたが、「Linuxばかり注目されているが、free software全体が重要なんだ」と力説していました。

6月のTop500では、自作のクラスタはわずか3件でした。

8月、北京国際会議場で開催されたWCC 2000では、江沢民国家主席の毛筆の祝辞が配られただけでなく、開会式で本人が出席し開会講演を行いました。後半は英語で、「私も電気工学者だ」と胸を張りました。ただ、分科会は低調でした。

最後のHigh Performance Fortran User Group meeting が、ホテルインターコンチネンタル東京ベイホテルで盛大に開かれました。この後、HPFの話題は少なくなります。

SC2000の開会式の日にBush対Goaのアメリカ大統領選挙が行われましたが、too close to call で結果は1か月後でした。この会議では、今後のHigh Endコンピュータとして、BlueGeneと地球シミュレータの講演がありました。地球シミュレータの稼働は2002年、BlueGene/Lの稼働は2004年です。

パネル”Petaflops around the Corner”(ペタフロップスはそこまで来ている)では、パネリストが勝手なことを言っていました。また、GridというパネルとMegacomputersというパネルが接続する形で行なわれ、両者の関係や技術上の問題などが議論されました。

Gordon Bell賞のPeak Performance賞は、何と日本の2グループがタイで受賞しました。

11月のTop500ではついにASCI Whiteが登場しました。1位とはいえチューニング不足でとりあえず測った感じでした。

さて、次回は「2000年」の最後で、アメリカはじめ各国の企業の動きです。Intel社とAMD社のGHz競争が火花を散らします。ご愛読を感謝します。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。

小柳義夫

前の記事

2000年のHPC(その三)

次の記事

2000年のHPC(その五)