2010年のHPC(その一)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に連載中の『新HPCの歩み』は、2010年に入りました。民主党政権の事業仕分けでの死刑宣告から不死鳥のごとく復活した次世代スーパーコンピュータは、「京」と名付けられ開発が進められます。今週の第293回-2010年(a)-は、「社会の動き」「次世代スーパーコンピュータ開発(その一)」です。
この年、日本でも世界でもいろいろな事件がありました。1月、さる通信社の用事でバンコクに着いたとたん、ハイチの大地震のニュースが飛び込んできました。首都Port-au-Princeの名前を知っていたので、話に付いて行けました。日本の首相が鳩山由紀夫から菅直人に代わりました。
Eckert Mauchly賞は、Stanford大学からNVIDIAに移籍したBill Dallyに授与されました。
次世代スーパーコンピュータ開発戦略委員会は、国際的な競争のため、議事も資料も非公開とされ、われわれ委員も資料を持ち帰ることができませんでした。見るためには文部科学省まで行く必要がありました。しかし、昨年の事業仕分けで説明責任を果たしていないと批判され、予算の復活折衝でも情報公開が要求されたので、1月22日に公開しました。
新聞各紙も早速これを報道し、日本電気・日立製作所が撤退を表明する前から、戦略委員会がそれを(婉曲に)要求していたことが明らかになりました。ただ、その理由が世界一を確実にするためと報道されたのには違和感を覚えました。
2010年度から戦略プログラムのFSが始まりましたが、事業仕分けの影響で予算が削減されました。2011年度からの本実施も同様です。しかし今から見ると、その後の重点・萌芽プログラムや成果創出加速プログラムから見るとまだ大型でした。大型だと、分野振興とか人材育成をサポートできますが、小さなブログラムでは出来ません。逆に、大型だとその分野の大御所がトップに座るという重厚な体制になりますが、小型だと若手研究者が自由に方向を設定できるという利点もあります。
次世代スーパーコンピュータ戦略委員会は、スーパーコンピュータ開発全体をハード、ソフト、応用まで担当する計画で、本来2017年まで継続することになっていましたが、事業仕分けを受けて一旦解散し、5つの戦略分野を支援する「HPCI戦略プログラム推進委員会」が発足しました。
これも事業仕分けを受けて、国民への広報活動が始まりました。2月には一般向けのHPCIフォーラムが開催され、3月には情報処理学会全国大会でも「スパコンフォーラム」が開催され、立花隆が基調講演を行いました。
次回は、理化学研究所計算科学研究機構(AICS)の設立、HPCIコンソーシアムの設立などです。上記のように「次世代スーパーコンピュータ戦略委員会」は廃止されましたが、これに代わって、国として必要な事項等を検討するため、「HPCI計画推進委員会」が構成され、HPCIの舵取りを行うこととなりました。私も加わりました。
既発表記事の総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
にあります。「特集記事」のバナーからプルダウンしてください。ご愛読を感謝します。
小柳義夫

